視聴率40%を超えた『篤姫』 1867年
50、60代女性の視聴率が40%を超えているとの「篤姫」ですが、静寛院(和宮)の嫁としての変身ぶりは20代30代の女性にも、もっと見て欲しいものだと思います。特に「私は京へ逃げ帰ろうとしている」と気付いたところなどは、ジーンときた姑さんも多かったのではないでしょうか?
そんな篤姫も、いよいよ大政奉還の1867年に入りました。この頃の出来事を並べ替える歴史問題が中学入試などで出題するほど混沌とした年なので、私なりに登場人物の立ち位置をまとめてみました。もちろん脚本家 田渕久美子さんの「歴史に埋没したヒーロー小松にもスポットを当ててみたい」という意向も踏まえた形にしました。
前回(第43回)放送までは慶喜側だった孝明天皇(1866年12月崩御)と長州征伐まで仲の良かった京都守護職の松平容保(休戦により 会津に帰る)には赤×にしました。松平容保は番組では名前こそ出てきませんでしたが慶喜を朝廷で支えた人物なので画面の中には登場したのだろうという意図です。同じように、慶喜と4人の諸侯会議(または四侯会議)が開かれた場面には、後に大政奉還で重要な役目を果たす山内容堂(土佐)と松平春嶽(福井)、伊達宗城(宇和島)そして島津久光(薩摩)が登場したので倒幕よりの位置に入れました。ただ、山内容堂はどちらかというと中間(融和派)との歴史的な背景があるのでこの位置です。
勝海舟は篤姫よりだと思いますが、次回の放送によって位置決めしようと思います。坂本龍馬は今のところ倒幕側ですが、大政奉還の下敷きとなる「船中八策」の内容的には慶喜の拠り所になりそうなので、気持ちだけ中間の位置に。
そして、小松帯刀による大政奉還の呼びかけに絡み、顔だけでも登場しそうな歴史的人物の後藤象二郎と板垣退助を入れました(青印)。後藤象二郎は坂本龍馬の「船中八策」を自分の案だと山内容堂に進言するので、二人の近くに。
この図を見る限り、慶喜には味方が少ないなー と思いませんか? これは、脚本家の意向ではなく歴史的にもそうなのです。慶喜が大坂に下った後、老中の板倉勝静に「幕府には西郷も大久保もいないではないか」と言ったそうで、そういう意味では番組の中での嫌われ役は、可哀そうな立場だったようです。反対に、斉彬の後々に藩主になった島津久光は、斉彬が育てた気の利くキーマンに囲まれていますよね。なにか現代にも通じるような構図だと思いませんか?
次回は大政奉還後に、坂本龍馬が暗殺されるので味のある登場人物がまた一人減ることになり残念ですが、幾島が再来するような展開もあるようなので楽しみです(幾島再来は次回かどうか不明)。
最後におまけ
篤姫は薩摩出身ですが、番組に直接関連する3人の鹿児島出身の方がいらっしゃいます。いつもキレイな滝山(稲森いずみ)、小松帯刀の父 肝付兼善(榎木孝明)そして音楽担当の吉俣良(よしまたりょう)です。番組で演奏される吉俣さんの曲で「女性ボーカルの切ないメロディ」はとてもジーンと心に響きます( NHKホームページ サントラ未収録曲の篤姫47 です)。



コメント
今日は。
歴史小説は司馬遼太郎氏をよく読みましたが、幕末ものは大好きです。
中国ものは長いので、一気に読まないと、名前の読み方を覚えるのも大変ですね。
中国の小学生向けダイジェスト版の三国志演義を読みましたが、
漫画の挿絵が付いているので分かりやすかったです。(^_^;)
「赤壁の戦い」見たいですね。
[2008年10月29日]Posted by haichaolu
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